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いつのまにかメリークリスマス・・・
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[2009/07/20] UFO
[2009/06/08] 地理実習レポ③
[2009/06/04] 地理実習レポ②
[2009/06/03] 地理実習レポ①

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UFO
さて、今日は昨日も言ったとおり、多摩川の散歩に行ってきました。

具体的に言うと、東横線多摩川駅から大井町線等々力駅ですね。

で、なぜこんなのに言ったのかといいますと、

実は幼稚園のときからの友達のお父さんが学芸大学の

地理の教授をしているのですが、散歩に行かない?

と誘われて、その友達の家族と学芸大の大学生2人と散歩に行ってきました。



まずは多摩川から。

まず、駅に集まってからまとめ資料的なのを受け取り、出発!

…なのですが、その表紙になぜか大きく

第49回UFOの会

と。

ここはあえて突っ込まないでおきましたが、

この話は後ほど出てくるのでまたそのときに。

さて、この辺りはハケ(多摩川の侵食で出来た巨大な段丘)の一番端っこに当たります。

なので、当然ながら坂がたくさんあります。

そこから、立地条件が良かったのか、

多摩古墳群と呼ばれる小さな古墳がたくさんある場所になっています。

大体の古墳は円墳(小さい山のようなもの)になっていて、

たまに大きな前方後円墳があります。

住宅や道路によって破壊されてしまった場所もあるのですが、

かなりの数が残っていて貴重な場所だそうです。

さて、古墳見学をしてきたのですが、

最初の古墳があった浅間神社からいい景色が見れたのでどうぞ。



手前を流れている川が(当然)多摩川。

それから右側にある線路は目黒線です。

さらに、向こう側に見えるビル群は川崎になっています。

23区の中でこんなに開けた場所も珍しいですね。

まあ、そこで名物の鮎焼きを食べて古墳をたくさん見てきました。


その次に来たのが田園調布。

ここら辺はかつて調(税の一種で特産品を納めるもの)

として布を納めていたので、「調布」と呼ばれていました。

いまはもうちょっと西側の地域だけを調布といいますが、

ここはその名残があって、田園調布という地名になっています。

さて、田園調布はとても特徴的な町でして…



↑綺麗な半円型になっています。

さらに坂が特にきつい場所になっていまして、

その角度なんと22度!!

スキーの中級コースぐらいの角度と言えば分かりやすいでしょうか?

しかも、かなり道が入り組んでいて、迷路みたいになっています。

流石世田谷区って感じでした。

ついでに、ここは高級住宅街になっていまして、

お城のような家やレンガ造りの家など面白い(?)家がたくさんありました。



さて、田園調布を歩いているときにUFOの会の意味を教えてもらいました。

このUFOというのは「楽しく散歩する」から遊と歩でユーホーらしいです。

なんかどうでもいいですね。



田園調布を抜けると世田谷最南端の地、等々力に出てきます。

ちなみに僕の家は世田谷最北端ですw

等々力といえばこれでしょう。



↑等々力渓谷

行ってきましたよ。

等々力渓谷は23区内の唯一の渓谷で、湧水地帯になっています。

なのでそこらからちょろちょろ水が流れ出しています。

ちなみに、このときに先生に聞いたのですが、家の近くにある

高源院の弁天池は目黒川の源流らしいです。

これまた家の近くにある井の頭池は神田川の源流ですね。


そうそう、その等々力渓谷ですが、

とてもよかったです。

気に入りました。

なんだか東京を忘れる場所でしたね。

機会があれば一度はいってみて下さい。


渓谷の後は最後の古墳へ。



帆立貝型古墳という特殊な古墳で、

後円のほうが極端に大きくなっています。

すごいきれいな前方後円墳で、感動でした。

ちなみに、古墳の上に出土品が書いてあったのですが、

冑(かぶと)が胃(い)になってましたww

思わず笑ってしまいました。


今回はこんなものです。

なんだか来週もUFOがあるみたいなのですが。

まあ、都合が合えば行こうかな、という感じです。


それでは今日はこの辺で。

また明日。



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四ッ谷→水道橋


ちょいと間が開きました。

地理実習シリーズ第三弾です。

今回は…



総武線(中央各駅停車)に乗って一気に飛ばしていきます。



まずは四ッ谷駅周辺。

もともとは江戸城のお堀があったところに、グラウンドがあります。

これに関連してか、どうやらスポーツ系の店や場所が多い様子。

ちなみに、こんなのも見えます。



防衛省です。ちょいと前に間昇格したあれですね。



さて、駒を進めて隣の駅、市谷へ。



こちらは四ッ谷と違って、お堀をそのまま釣堀にしちゃってます。

どうやらボートの貸し出しもしているようですが…

ボート乗るなら井の頭公園にry

ここからは、外堀沿いの広い通りに沿った江戸外堀(実際の順番は逆だけど)を

見ながら進んでいくことになります。


では、さらに次の駅、飯田橋へ。



東京理科大学です。

だんだんと大学が現れてきているということは、御茶ノ水も近いですね。

それから、出版社もちらほら見えてきた様子です。


それでは、我らが竹早の地元、水道橋です。



なつかしの光景…

ここは元水戸藩の大名屋敷でこれを大改造して、

今のような「後楽園」として残っています。

やはり、官庁といい後楽園といい、大名屋敷のところには

大きな建造物や重要な政府の建物が集中するんですね。

まさに江戸のリサイクルとでもいったところでしょうか。




さて、ようやく半分まできました。

また続きはちょいちょい進めていきます。

次回は飯田町→御茶ノ水です。


それでは今日はこの辺で。

また明日。
【どうでもいいこと】
今日の朝、久我山駅に行ってみたら、

防犯カメラにツバメが巣を作っていました。

確か去年は吉祥寺じゃなかったっけな…?





喰違見附→四ッ谷


昨日は弁慶橋まで行きました。

今日は四ッ谷まで行きましょう!



弁慶橋が彼方に見えます…

外堀通りを通って、弁慶橋も直進してくると、ここ、

「喰違見附」に到着します。

ここは突き当たりになっていて、今までの直進から向きが90度変わります。

突き当りには今では上智大学が建っていますが、かつてはやはり監視台があったのでしょう。


そうそう、喰違見附までの坂の間にホテルが並んでいて、その先には、



清水谷公園があります。

ここは、かの有名な大久保利通が殺害された場所でもあります。

今ではすっかりその面影はなく、のどかな公園が広がっているだけです。



さて、喰違見附を曲がり、紀尾井坂をのぼるとこんな場所に着きます。

そうそう、紀尾井坂はかつて、紀州・尾張・井伊の大名屋敷が立っていたことから、

その名前がついています。

大名屋敷があっただけに、巨大なホテルなどの建築物が立っています。


話を戻しましょうか。

写真はちょっと前に渡った弁慶掘です。

しかし、ちょっと先に進んでいくと…



このとおり、電車の駅になっています。

乾いてしまった堀は、こんな感じで駅になったり、他にもグラウンドになったりしています。


さて、そろそろ見えてきましたよ。



四ッ谷に到着です!

ここもやはり、四谷見附といってかつて監視台があっただろう場所です。

今ではたくさんの会社が立ち並ぶ都内有数のオフィス街となっています。

たしかに子供はほとんどいなそうです。


さて、ここからは電車に乗って水道橋まで一気にワープしますよ!

次回は四ッ谷→水道橋です。

では今日はこの辺で。

また明日。


外堀通り→弁慶橋


スタート地点はこちら、大田区山王にある「日枝神社」であります。

ここから東京都心1周の旅が始まりますよー。



まず最初はここ、外堀通りから始まります。

外堀通りは別名「環状二号線」。

今から約70年前の政府の「環状線計画」の二番目の道路(詳しくは過去記事を)。

そのため、4車線×2の大変広い道になっています。

自動車もガンガン通っていて、まさに「東京」といったところでしょうか。

かなり交通規制もしているようでした。



地下鉄赤坂見附駅(銀座線&丸の内線)の駅ビルです。

写真右側にちょっとだけメトロマークのようなものが見えるでしょうか?

このビルからだいたい500mくらい離れた赤坂地下道までつながっています。

やっぱりたくさんの人が利用する駅にはお店をたくさん作っておけば、売り上げも伸びるのでしょう。




首都高4号線(新宿線)との立体交差地点。

なんと、車道が5方向に分かれます。

もう一度言いますが、ここは「赤坂見附」です。

「見附」とつく地名は他にも四谷見附などがありますが、

この「見附」とは、江戸時代に、江戸城(現在の皇居)への

侵入者を監視する(見つける)場所というところから派生しています。

ちなみに、「見附」はかつては36つあったそうで。



(http://www.ken-ohashi.jp/contents/2b/dagakki3/05series/36mituke.htmlより)

昔は36あるといわれた見附も、地名としては、

「赤坂見附」「四谷見附」「牛込見附」「市谷見附」しか残っていません。


さて、話は戻りますが、赤坂見附がこんなにも広い交差点なのはかつての

名残なのでしょうか。と思いました。



さて、赤坂見附の交差点からちょいと進むと、




弁慶橋にたどり着きます。

なんだかボートの貸し出しも行っているみたいで。

ボートなら井の頭公園行ry

まあ、橋というからには当然水の上にかかっているわけで。

ここの水は弁慶堀のものです。

弁慶掘以外にも、もちろんたくさんの堀があって、それらをつないでいくと、

かつての江戸幕府の領地が出来上がるんですよ!



東京も昔の地形と照らし合わせて歩くとまた違った見え方になってくるんですね。

今日はこの辺まで。

次回は弁慶橋→四谷の予定です。


ではまた明日。





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